~未だモラトリアムな日々~

This is 21th Century March (21世紀の行進曲)

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優しさの根源

2006年04月14日(Fri) 02:30:17

「優しさとは訓練で身につけるものである。」今日大学でそんな文を読んだ。司馬遼太郎の言葉である。言われてみて、初めて気付いた。優しさとはいたわり、いたわりとは思いやり、思いやりとは誰かを想うことである。誰かが辛いとき、その辛さを感じ取る訓練を積み重ねていかなければならない、と彼は言った。

僕は同時に、この訓練は、親そして教師こそによって行われるべきではないかと思った。電車の中で、子どもが座席に土足で立とうとした時「他の人が汚れるから靴を脱ぎなさい」だとか、動物に対して悪戯をした時に「この子が嫌がっているから止めなさい」という事を教える事は、まさに思いやりを育む行為そのものだと言えないだろうか?

現代はこれが不足している。子どもを叱らないのは、子どもに優しく接しているとは言えない。子どもを豊かな感性の持ち主、優しさに溢れた人格に育てる事が、親に、そして全人類に課せられた使命なのである。

子どもは無邪気だ。それゆえ、善にも悪にもなりえる。もちろん、何が「良く」て、何が「悪い」のかは人それぞれの判断基準によって異なるし、どれが正しいのかなどは分からない。

しかし、他の人間、動物、植物に対して思いやりを持つことは、言葉では到底表現できない素晴らしい何かが存在する。この素晴らしい感情は、金や地位では決して得られない。人生において、全ての人がこの感情を持ち、優しさ溢れる世界になる事を願ってやまない。

今日は、そんな事を考えました。
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